2018年10月24日

隙間に佇みぼんやりと

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紅茶を入れて飲みながら、今日も1猫写真をUP(ρω*)゜o。



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明治維新150年とか言われても、西洋かぶれした馬鹿者の神社仏閣の無理やりの分離や無茶苦茶な削減の合祀での、土着文化や神社地の大量破壊の始まりと。
本来は自然崇拝や土地神や祖神信仰の色濃い日本の神道を、勝手に解釈ひん曲げて権力組織の装置にしさらして、女性神職の格下げやケガレ意識を植え付けた改悪加速の始まりで。

お祭文化が大好きなオイラが見たかった貴重な山車やお神輿や社殿その他諸々の、残っておったらものすごく貴重な技術や文化財級の諸々が壊されだした大きな一つの起点だし。

で、その後の血みどろの歴史からの今の状況で、ナ〜ニがめでたいもんなのさ(−ω−;)

としか思わないもんだから。

ニュースをぼんやり読みながら、その懐古主義的な式典に税金いくら使ったよ?と最初に浮かぶのは
オイラが東京は城南の、戦火にがっつり焼かれてる江戸の時代は農村な町工場エリアの生まれ育ちだからかね。


現代の「息苦しい通り越して生き苦しいわ(ノ`□´)ノ″┻┻」な日本人的集団の、行動や思考の抑制や歪みを招く学校の教育システムなんてのも、この時代から始まりだしてるし。

ここ数年の掘り下げで、「またこやつ等か(°ω°`)」っていうくらい
その後の結果論で見た時に悪い方向に加速する黒い歴史の節々にゃ、明治を立ち上げた勢力やそこの支援人脈が必ず怪しく出てくるし。

良いか悪いか別として、責任ある立場にある武士ならば何かあれば「切腹」て、行動に対する責任に重みがあった時代から。
若手を危険に曝しつつ駒にし好き勝手扱って、何かあったら真っ先に逃げくさり。自分が助かるためならば平然と身内すら差し出せる腐れ根性全開の『責任をとらない責任者体制』も、このあたりから顕著になっとるし。

日本だけじゃあないけども、この辺の時代から現代は環境破壊や殺戮の規模が加速し悪化した、落としどころの見当たらぬ負の遺産量産の「今さえよけりゃ」の近欲の暴走の歴史がある訳で。

なんも目出度くないものをひと時代だけ取り上げて祝いたがる発想の、その根っこの部分に権力組織の向かいたい方向性がむき出しで隠しもしないで視えるから。
本当に良いも悪いもひっくるめ総決算的な諸々の、噴出時期ではあるもんの。
オイラが育ったこの場所のエライ人らの思想や発想は、穏やかな幸せとかとは程遠い淀みや苦みに溢れてて本当気持ちが悪いなと。

なんかウンザリしちゃうのだ(°ω°`)


「7代先のためにならない事はやってはいけない」や
「全ての大地と川と海を破壊して最後の魚が居なくなったとき、人間はお金は食べられないと気づく」って
そんなネイティブの視点や生き方が、やっぱオイラは好きなのだ。


ラベル:白黒 お寺猫
posted by ノラ猫ポチ at 12:30| お寺猫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする