2018年10月03日

浮かない顔をしながらも、にゅっと乗り出し現れる

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9月の中間ぐらいから言語化し損ね続けてたものをポチポチ打ってたら、楽しい割り込みとかあって日付がかわっておったけど・・・夕飯作るその前に今日も1猫写真をUP(・ω・)ノ



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先月に「ソレをあの環境で求めて頑張ちゃってたら、すげーしんどい!そりゃしんどくなっちゃうよΣ(・ω・;)」

ってなったのが、果てしなくドラ猫気質のポチ助と、犬っぽいテンションと性格の友人の行動の原動力になっておる『気持ちの起点』なんだけど。


お互いに子供のころからがっつりと、ちょっと特殊な環境で裏方方面全般をやってきていたのだけども。

神輿の彫りってカッコエエ!てか、色々あって綺麗!可愛い!!面白い!!!(・ω・+)
うはっ磨くとピッカピカ\(ФωФ)/
ウオォォ!落ち葉が大漁じゃぁΣ(・ω・+)
なになに?ソレってどうやるの(・ω・)ノ

って、テンションで裏方っちゃ裏方なんだけど、どんなに否定されようと、どんなに邪魔をされようと
「オイラがやりたいんだから、邪魔するだけならすっこんでろい(ФωФ)」って、やりたいように好きなよに興味湧くままそのままに好き放題していたドラ猫と。


こうすれば、もっと認めてくれるかも!
言われなくてもこういう準備をしておけば、みんなが楽をできるはず!
あたしがもっと頑張れば、ちゃんと褒めてくれるかも!

って、常に周りに気を配り

『こんな自分』でもどうにか役に立つよに頑張って、ちゃんと認めてもらいたい!
「ねぇ!アタシとっても頑張った!褒めて褒めて\(・∀・)/」って、一生懸命アピールし反応薄い人達を相手にもっともっと頑張れば・・・って、素直すぎる犬のよに尽くしておった友人と。


最終的にこなしてる役目ややってることとかが結構被って似ていても


好きなモノを好きなだけ見たり触れたり戯れて、失敗すんのも楽しくて結果的にアレコレ出来る事が増えてって、
アレは?え?じゃぁコレこっちにも使えんじゃん??、ん?じゃぁコレ組み合わせたらもしかして???
って、好きに色々とやらかしちゃぁ 見られてないほが快適で\(・ω・+)/ってなってるポチ助と。

え?こんなに色々やってても「ふ〜ん」程度の反応で、なにも言ってくれないの??
この人たちの基準だとアタシの頑張なんて当たり前すぎちゃって、嬉しそうに話しちゃうアタシがオカシイの??
じゃぁもっともっち頑張って、もっと役に立ってなきゃいけないの???
って、精神的の追い込まれ、疲れていってしまった友人と。


そらぁ、似たよな事をやってても、人生の生きやすさやしんどさは全然違ってしまうねと(・ω・;)


「頑張った!できた!!褒めて褒めて\(・∀・)/」って素直な感情をそのまま表現した時に、
「あっそ」とか「ふ〜ん」とか「で?」、みたいなシラッとした反応を返されて。
「あっ、この人達の前とかじゃ、こんな程度の事で喜んじゃイケナイんだ(´д`)」って思わされ。

もっともっとと頑張って、それでも当たり前って顔をされ『褒めて!』への返しもないままに、
次々に圧倒的な片寄りでやることばっかりが投げられて増えていくとか・・・


なんかもぉ、聴いてるだけでしんどいわ(´ω`;)



で、そんな話をしながらも

しんどい生き方をしてしまう心の根っこの部分を会話から、言葉の味がブレたりな場所を化け猫のカンで視ながらの。
「何がどうしてそうなった?」に繋がるかもなな事例とか漠然と浮かぶ疑問の投げかけや、本人が思いつくままに話を聞いてみたりして。
ポチの「あ〜なんか、今の言葉言うときてモタッと味が淀むねぇ」とか
「あ、苦い!今の言った時めっちゃ苦い!」とか
「うっわ、イライラがピリピリで出ておるよ(°ω°; )」そんな次元でザックリな
最早感想なのか?って感想をオイラはヒントにぶん投げて、本人が自問自答のその中に答えを探すてスタイルで掘り下げ掘り下げしていたら。



人格形成期の年齢で素直な自分の『嬉しい』を、『出しちゃダメなモノ』と意識に刷り込まれ、
『この場所の一員でいるのに、はそういう感情はしまわなきゃ受け入れてもらえない』のだと思って閉じちゃってただとか・・・

自分の『好き』や『楽しい』や『嬉しい』ってプラスの気持ちすら、『ダメな事』と想わせる人や場所におったらば
そらぁ自信ももてないし、心底辛くなっちゃうし、

て言うかソレって、その人たちのの空間に本当の『信頼感』ってきっと皆無だし。

例え稀に少しだけ、褒めたりしてくれたりとかしても。
自分がご機嫌に沿うような行動した時限定の条件付きの関係じゃ、一方的な気遣いやご機嫌取りがいるんだし。
相手の機嫌の良し悪しで瞬間嬉しくなれてても、安心できる居場所とは言えそな場所じゃないよね(・ω・;) と。



じゃぁ、なんでそんな辛いのに、もっともっと頑張れば・・・って。
なんでも『やってて当然』って態度の人達だってのに、そんなに不毛なままずっと尽くし続けちゃうのかね?(°ω°;)

ってところを掘ったらば、

根本で『こんな自分なんか』って、自己評価に反して実際は色んなことができるのに劣等感が深くあり。

だから、『相手を喜ばせられなくちゃ』『ちょっとでも気に入ってもらわなきゃ』『自分の居れる場所は無くなっちゃう』

そういう思考が深々と、物心つくかつかないかそんくらい幼いころからの母子関係だったりや、小学生くらいからの学校やその他の人間関係で、脅迫観念めいたよに無意識レベルで植えられて頑固に根付いてしもうてて。

しかも、子供ながらに純粋に「この人凄い!」って憧れて、「この人に褒めて認めてもらいたい!」って思って頑張って空回り続けておったとことかも更に被せてあったとか・・・


自分の存在の価値だとかやってることの価値とかを、偏った狭い範囲限定の評価に依存しちゃうのは相手を選び間違うと負のループの出口が見えないし。
潜在の記憶があまりに幼いと自分の居場所と思ってたその場所やそこの人達が、自分をちゃんと一人の人とし尊重し扱ってくれる人かとか疑問すら持つ間もないわけで。

この辺の育成環境に起因する、事実とズレるレベルでの劣等感の植えつけはとっても危うく怖いねと(・ω・;)



そもそも論、ドラ猫な俺様気質全開のポチ助的な感覚じゃ
『自分の感情を出す事もできない信頼度の人達て、自分の時間や労力を削るほど大事にしたくなる人じゃなくないかい?(°ω°)』
と言うよりは、本当に一緒にいるのが楽しくてなんか好き!って人達て、お互いに一緒になにかをしていおって褒めるだ認めるだ言わんでも『削られる』って感覚にゃならずに楽しいもんよねと。


オイラはそんな風に思うけど。


生まれ育った家の家族の枠組みや近しい距離の町の人、小中高って学校の人間なんてだいたいは、自分の意思より産まれた土地たとか時代とかそんなんの博打の要素が主なのにね。
なんでだかこの国のジョーシキじゃ、家族は、故郷は、幼馴染は『大事にするのが当たり前』みたいな洗脳が、教育的な刷り込みでご先祖様の時代から脈々続いて強いから。

大人の言葉を信じちゃう地の気質が素直ないい子であるほどに、環境要因がダメなとき自分のせいじゃないことに気付けなくなるとかあるのねと。


そうやって、本当に自分がやりたかったこと、やって楽しかったこと、出来て嬉しかったこと、なんか好きっ!て思うこと。
悲喜こもごもひっくるめ素直に在るだけの感情を隠さにゃならん関係に無理に馴染もうと頑張れば、一緒に居れば居るほどに時間や労力だけ捥ぎ取られ気持ちが殺されちゃうよねと。


行動原理の根本で自分が何を求めてて、それでも得られなかったのの原因は実際どこなのか。

本当に自分の何かが至らずで、ダメな状態だったのか。
それとも事の良し悪しじゃないとこの、巡り合わせや相性や運とかそんなんだったのか。
ただただ不当な搾取やら、ただただ理不尽な攻撃にさらされとっただけなのか。

ずっと生きてりゃ大体は、わかる得手不得手ってあるもんで。
今の自分ができる事、好きな事への気持ちとか今までやったことの積み重ね、当然にそういうもんってある訳で。
そういうのを自分じゃない人がやれておったらどう思う?、って視点で一度見直すと、
よっぽど全てを放棄した生き方とかでもない限り、頑張りまくる人ならばなんかしら誰しもあるもんで。


そうやって、自分がいいじゃん!て思ったり、凄くない?って認めたくなる部分とか、ホントは表現したかった楽しい嬉しいその他も無理なく在るよな気持ちとか。
そういうものを共有し何も気張らず楽しくてワイワイできていた人達が、居場所と思い込んでいた外には居た!って気づくとか。
自問自答をしておった友人の反応を視ておると、そんな事もあるようで。


化け猫視点で視ておると、条件付きの愛情や信頼のない関係で満たせなかった幼さや無理させちゃった感情を、気づいて拾ってあげなけりゃ子供のままで閉じ込めた自分がしんどいままよねて。
現代社会にゃそんなな色合いの味の大人がわりと居て、謙遜や自虐の殻じゃ隠せずに溢れておるよに視えるのだ(・ω・;)


ソレを過度にこじらすと、「アタシらはもっと大変なのに耐えた」とか、
まだまだ小さな子供らにに顔色伺わせ機嫌を取らせておきながら、それを指摘されて尚「あの子は大人に気を使える良い子なの!」とか言っちゃって
生存本能の主に恐怖の領域を圧迫するよな行動で、素直な「嬉しい楽しい」や「好き」を自分が閉じさせた瞬間の色の曇りや重たさを視ようともできなくなるだとか・・・
我慢が美徳と押さえられ締め付けられてたのもあって、上の世代が特にだがそんな大人も多いよね。

そういうの後々になっても根深くて、自己肯定感を持てんとかマイナスとして響くから
ホントよろしくないのだよ(・ω・` )


っていうか、リアルに5歳なるかならんかの子供が
「あっ!アイスッ!モモ(・∀・)」って喜んだその直後、
「今アイスじゃないでしょ?」って言葉を投げられたソレだけで
「〇〇ちゃんアイスなんて嫌いだもん!欲しくないもん!(-д-)」って一瞬で全身の嬉しい色がフッと閉じ、曇った色の眼になって嘘で機嫌をとるとかを反射でやった瞬間をスゲー間近で見てもうて。

友人と上の話をしてからの間もない日でもあったから、ちょっとコレはまずいなとモヤモヤしてもうたんだよね。



そんなこんなでちょいちょいと、リアルに目の当たりにしてもうた9月の気づきをつらつらと、思考の整理を兼ねながら書いたら長くなったけど。

脳みそが猫サイズしかないオイラだし、モヤモヤをモヤモヤのままに放置して忘れてしまわないように記録しておきたかったことなのだ。

posted by ノラ猫ポチ at 01:57| 路地猫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする