2018年08月24日

まるで何かのロゴのよに綺麗に伸びるシルエット

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網戸を揺らす風音をぼやっと聴きつつ・・・今日も1猫写真をUP(ρω*)゜o。



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風がそこそこ強いけど、降水確率のその割に東京の城南エリアは幸いに雨に降られることもなく。
おかげでチャリで移動でき、だいぶ楽できた木曜日。

とはいえ、ちょっとまた神輿若手側(つっても40代)のリーダーに
「いいかげん、来年もなんて甘い先延ばしはしないから責任者としての自覚持て」って言ってても、ドタキャン含むポチ任せ状態が発動し。

こうやって、現実を受け入れない甘さとか
「でも、結局上手くいったからいいじゃない」みたいな

その『上手く行った』を誰がどういう采配や労力で、作っているかもわからんか?(・ω・)
な、行動がここ最近そこそこ出ていて頭痛い。

「行けなくなっちゃったけど大丈夫でしょ?」じゃないわ(ノ`ω´)ノ″┻┻

いや本っっっ当に、なんでここまでリーダー各を任され受けていて、それでも逃げに回れるかまったく意味がワカラナイ。


世間のそこここに溢れてる、いい歳した大人のオッサンが発してる
『〇〇代(30代とか40代とかそれ以上とか)ってなってみると結構子供だよ』とかいう発言。

周囲から『童心を忘れない素敵な人』的な意味で使われるでなく、本人が自発的に言う場合。
大抵は責任の丸投げ行動や、ただただ自分への甘さの免罪符にしておって。
その無自覚なぶら下がり根性に、ただただ呆れてしまうのだ(−ω−;)

最近一部で流行ってる「#九州の男尊女卑」とやらで語られる、男(や年齢問わずの子供)はお膳立てされて当然って刷り込み思想って。
その代償の「旧家制度的な責任」がなくなった現代も、親子間や村体質に組み込まれた『お膳立て』だけが根深く残ってて、
『自立して生きる自覚』がない歳だけ大人が溢れてて、本当にタチが悪いなと。

中高生の時から現在に至るまで、家でも地域でも職場でも
「え〜・・・やっといてよ」とか
「ポチならできるでしょ」とか
面倒事や裏方を上の世代に投げられて、育つしかない環境を切り抜けてきたオイラには、自分で自分の生き方を背負うことすら放棄した、ただの甘えにしか見えないわい。

で、

里の甘ったれ大人達がこれ以上オイラにぶら下がり続けるの、2014年に今の目標を決めてからもぉ既に、引継ぎや次世代育成で3年待ってるしこれ以上待つ気はないオイラ。

まだまだひと波乱ふた波乱ありそうな、怪しい雲行きなんだけど。
これ以上折れたところでその先に、化け猫のカンで視ていても良い流れは巡っていないから。
同じ譲歩や待ちとかは、お互いよろしくないんだな。

ラベル:あくび キジ白
posted by ノラ猫ポチ at 10:43| あくび | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする