2018年05月09日

隙間から静かな視線で見透かされ

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ぼんやり目が覚めじわじわと思考の回路を開きつつ、雨に合う静かな音楽聴きながら今日も1猫写真をUP(ρω*)゜o。


Ronan Keating - When You Say Nothing https://youtu.be/L8uD5mYnlLw



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起き抜けに、夢の展開も内容も自分が発した事なのか誰かに言われた事なのかそれすら記憶にないけれど

『誰かの視点を知ることで、自分の姿も見えてくる』

って言葉だけ、異様に鮮明に焼き付いて残っておった雨の夜。

あとアレだ、『言葉を表す文字にかけられた、魔物に騙されんように注視せよ』って警告も、さっきからジワジワと眉間のあたりに沸いておる。


まぁ、どっちもある種真理ではある・・・かいの(・ω・;)


ポチ視点で十分良いモノ持っておる、そんな友人知人は多い、というか良い部分や魅かれる部分があるからこそ、気ままなドラ猫でもプライベートな時間の一部を使いたいと思ったり、今は頻繁に会える環境になくってもどうしてるかなとか気になって幸せを願う訳だけど。

自己評価が異様に低くって、どこかで自分の人生の向かう先のより良いイメージを本心では諦めちゃっているような、そういう人も少なくなかったり。
無理やり自己評価の空白を外からのナニカで埋めようと空回り、軸をすり減らしてぐらついてしまったり。

一度言語化した自分のイメージが、偏った自己評価の低さからくるものや、その当時はソレが妥当でも今の成長した実際の姿と違うのに。
繰り返し言葉にすることで、囚われの枠になっていて。
自分で自分を貶めて、そっから動けなくなっているような。
そういうループもわりと見かけてしまうから、少ない視点しかもたんのはホント色々もったいない(・ω・`)


世の中のニュース的な全体の流れでは、
「みんなもっと大変な筈だから」と、楽になること嬉しくなれる選択を捨てるのは、地縛霊的な足の引っ張り合いにしか視えないし。
「どうせ〜だからしょうがない」と自分で自分を落とすなら、一歩先の可能性すら拾えんし。
「みんな自分が大切で、他人なぞどうなろうと関係ない」とか言ってれば、差し出されとる手もきっとうまくは見えんわな。

で、

勝手に「もう終わってる」とか「地獄しかない」とか言葉でイメージ強化して、諦めの淀みを振り撒いて周囲にも感染させていく底なし沼に沈むとか。
そういう流れは視ておって、ホントよろしくないのだわい。




ポチ君個人的には、一般的なところで使われる言語で

金融って言葉で表されている仮初めの数字のシステムの、『融』は50年100年スパンで見たときにナニを融かしておるものか。
理屈って言葉は正しい事を表す場面で使うけど、『理』を『屈する』ような考えは発展を妨げる窮屈な捉われにならないか。

そんな数年前にふいに沸いてでた、疑問が再燃しておって。

ここら6月以降の運気の濁流に向って流れて行く中で、本質や本当に自分にいるモノを見極める鍵にもなりそうな。
そんな予感がしとるのだ。

簡単な事を難しく見せかけて、考えることをさせないようにするよな仕組みがはびこる時代なら。
実際は、不要な方向に難しく考えてしまったり考えることを捨てなけりゃ、良くなる道はすぐそこに通っておるかも知れんわな(°ω°)
posted by ノラ猫ポチ at 05:10| 階段猫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする