2016年02月01日

『番外編』色々あるから考える

自問自答にゃ.jpg



なんとなく、ぼやき画像をおまけでUP。





なんとも釈然としないモヤモヤした気分の中で、こんな空気を纏ってライブ観に行く気にもなれないし周囲の人にもよろしくないので自粛して。なんでここまでスッキリしないんだろう?って、自分自身の中身を観察していたここ3日。

子猫の頃には可愛がってもらったりそれなりに世話にもなったけど、本当に晩年は最後の最後までオイラにとって反面教師な人だったよ。

最近めっきり使ってなかった数人しか内容見えない旧式SNSに、ダダッと愚痴とモヤモヤを字にして吐き出して、出てきた答えは・・・こんな感じ。
以下、愚痴を吐き出した後に出た自分の中の今の答えの抜粋版。

今後もオイラらしく好奇心を原動力に動くとして、最大限回避できる危険を回避する知識や技術は身につけるし当然目的を果たすために出来る用心はするんだけれどもだ。
もし、わざわざ死にに行く気なくともなんかウッカリやらかしたとして
「まぁ、アイツならいつかやらかすと思ってたよ」とか
「アイツらしいし、本望なんだからしゃあなかろう?」とか
「なんやかんや、わりと好き放題やりたいことやらかした人生だったよね」とか
最後の時に苦笑いしつつもそう言ってもらえるなら、オイラの猫生は上出来と言えるのだ。この考えは相変わらず、10代の頃からずっと変わらない。

自分自身が悔いを残さんのも当然なんだけど、残された人達にモヤモヤを残さん去り際がやっぱりオイラの生き方の理想。変に嫌な気分纏って悔やまれちゃうような死に方は、したくないし本当よろしくないわって。モヤモヤしながら、今まで以上に実感もって思ったのだ。


まぁ、なにはともあれ・・・


時間は常に不可逆で、起こっちまった事象は変わらんし「ああしていれば」も「あんなことしなければ」も生きて挽回できる環境が無くなっちまえば無意味なもんで、モヤモヤしたって良い事ないのはわかってるのだ。

現状、筋を通して今やっている事のためにあの場所を抜けた自分がどうこう口を挟むことではないから、今後の事は残った面子がどうするのかなるようにしかならん流れを見守るだけ。
ポチ助は今までと変わらず地元の大人と子供の中間地点の存在として、若者が困ったときにちょっとした猫の手を貸したりできるようなそんな距離感でいるくらい程よいのだ。


と、まぁ

こんな感じだわ。

とりあえず、ニュースで訃報を受けるのはもぉまっぴら御免なので、当り前の状況判断とかちょっとの行動の慎重さとか自分の身体の限界を見極めた行動とか、そういうもので防げるレベルの事故は起こさないようみんな気を付けて欲しいと思うし、自分自身も本当に気をつけなければいけないなと思ったよ。


posted by ノラ猫ポチ at 19:23| ミケ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする